Caruha Photo Life

渥美半島の情景を主体に、心に感じたものを写真で表現したいと思っています。

2014年08月

ケイトウのフリルはどうやってできるのでしょう?1-DSC_0015不思議ですね。

つゆ草の花を今年はあまり見ていません。暑すぎのせいでしょうか(;´∀`)1-DSC_3691

週末でしたが、この時期の海水浴場はガラガラ。砂浜は白く遠浅で、南国ムード満点、とPRは謳います。伊良湖港が隣にあるため、フェリーの出入りも多いです。見慣れたわたしには普通の伊良湖。でも、遠くからの友人は感激して帰ります。さすが、伊良湖!1-DSC_3676

家の庭でしばらく遊んでくれました。記念の一枚です。1-DSC_0098

(前篇に続く)
という問いかけに、小さなカタツムリは答えました。”上から見える景色を楽しんだら、またゆっくり降りて行くだけです” だって。
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それを考える前に、ここまで登って来た根性を称えます。おそらく、地面からゆっくりとただ上を目指して来たのでしょう。小さな体で骨が折れたね(軟体動物ですが)。。。
でも、困難なのはこれからです。一体、どうするつもり?1-DSC_0045

さて、わたしの出番だわ!って未来のダンシングクイ~ンが。

ここ新城市竹広地区の盆踊りで歌われる数えうたは、太鼓もお囃子もありません。25歳の若さで戦死したこの地区出身の方が作ったのだそうです。素朴な踊りも、ふるさとへの想いが詰まった歌詞も不思議と心に残ります。(歌はライブで10番まであります)1-DSC_0798

鉄砲百合ととても似ています。葉っぱが細い方が高砂百合です。渥美半島では、丁度今頃が盛りで、空き地や道端に群れになって咲いています。雑草ともいわれるのですが、これはこれで清楚でさっぱりして、いいと思います。1-DSC_0011

”ヤーレモッセ、モッセモセ”と唱えながら、燃え盛るたいまつを振り回すと、火の粉が舞いあがります。
長篠の戦い後間もなく、死者を葬った信玄塚から大量の蜂が発生。武田軍の亡霊と考えた村人たちがたいまつを燃やしたのが始まりと考えられています。1-DSC_0964

長篠の戦い(1575年)の戦死者を弔うお盆の行事”火おんどり”が15日夜、新城市信玄塚で行われました。午後9時過ぎ、法被姿の男衆がヨシとシダで作ったたいまつを抱え、塚の周りを歩きます。400年続く伝統行事の始まりです。1-DSC_0818

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